金大中事件

戦後の日韓関係史に刺さった大きなトゲだった金大中(キム・デジュン)氏拉致事件
「情報機関の組織ぐるみの犯行」と結論づけられた。
事件の真相は、竹島(韓国名・独島)の領有権や歴史認識の問題で強硬な対日姿勢をとる
盧武鉉ノ・ムヒョン)政権の、歴史の見直し作業の中で明らかになった。
盧大統領が就任以来、敵視し、価値観を逆転させようとしているのは、日本の植民地支配から派生した既得権層や、
その「親日エリート層」から生まれた軍事独裁政権への評価だ。
金大中拉致事件を起こした当時の朴正熙(パク・チョンヒ)大統領の軍事政権は、そんな旧来型の象徴といえる。
また、盧大統領が嫌悪するのは、日本との間での「あいまいな処理の歴史」だ。

ハンナラ党党首=朴正熙の娘 っつーことで。

朴正熙の娘

朴槿恵
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

朴 槿恵(パク・クネ、1952年2月2日 - )は、大韓民国の政治家。保守派ハンナラ党前代表。パク・クネとあるが、実際に姓名を呼ぶときは「パックネ」となる。

要するに酋長のやることで一番得してる人。

金大中事件ってなんじゃらほい

金大中事件
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金大中事件(きんだいちゅうじけん)(または金大中(キム・デジュン)氏拉致事件)とは、1973年8月8日に、韓国の政治家で、のちに大統領となる金大中が韓国中央情報部=KCIAにより東京都千代田区のホテル・グランドパレス2212号室から拉致されて、ソウルで軟禁状態に置かれ、5日後ソウル市内の自宅前で発見された事件である。

要するに韓国内の政権抗争から起きたっつー。
自国でやれ。

その後の金大中事件

文世光事件に発展。

文世光事件
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文世光事件(ムン・セグァンじけん、?????? ????)は1974年8月15日に元大韓民国大統領・朴正煕の夫人、陸英修など2名が在日韓国人の文世光(ムン・セグァン、??????)に射殺された事件である。この日は日本からの解放記念日である光復節の祝賀行事がソウルの国立劇場であり、朴大統領夫妻がその行事に出席している時の出来事であった。

つーか

その後の日韓関係

この一連の事件の為、日韓関係は国交正常化後、最悪に陥った。理由は、朝鮮総連が関連している事件であるのは韓国側の捜査で明白だったのに対し、日本側は総連の関与はないという姿勢を見せた事、文が所持していた拳銃が大阪の派出所より盗まれた物であった事に因る。

謝罪のない日本側に対し、朴大統領は「日本は本当に友邦なのか?」と問いただし、ついには「日本は赤化工作の基地となっている」という言葉まで出た。 その後急速に関係は悪化し、国交断絶寸前までいった。 しかし、大統領の側近が「このまま断絶してしまえば、今までの苦労が水の泡になってしまう」と説得し、最悪の事態はまぬがれた。 なお、日本を「赤化工作基地」とみなす認識は、韓国人にとってしばしば反日感情を正当化する根拠の一つでありつづけた。

日本が総連を庇ったのはなぜなんだぜ?

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